こどもの日 端午の節句





こいのぼりのルーツ

こいのぼりのルーツ

こいのぼりの誕生は江戸時代

江戸時代、武家に男の子が生まれると、端午の節句には家の外に家紋を記した旗やのぼりを立てる風習がありました。

 

裕福な町人もこれを真似しようとしましたが、武士でない者が旗指物やのぼりをたてることは禁じられていたため、代わりに考案したのが「こいのぼり」だったのです。

 

 

当初は和紙に絵の具で色をつけた簡単なものでしたが、破れにくい油紙が使われるようになり、明治・大正時代になると破れない木綿のこいのぼりが生まれました。

 

昭和30年代の半ばには化学繊維のこいのぼりが誕生し、黒と赤だけだった地味なこいのぼりは、素材の進化に合わせてデザインも色彩も美しくなっていきました。

 

 

鯉が龍になった伝説がヒント

古代の中国では「竜門の滝を昇りきった鯉は龍になる」という登竜門(とうりゅうもん)の伝説があります。
庶民ののぼりに鯉が選ばれたのは、この言い伝えを取り入れ、わが子が健康に育って立身出世してほしいという願いを込めたためです。

 

 

特に子どもが産まれた家では、健やかな成長を願い、天の神様に見守っていただけるよう目印として立てたとも言われています。

こいのぼりの構成

現代のこいのぼりはたいてい黒の真鯉、赤の緋鯉、青の子どもの鯉、吹流し、矢車がセットになっています。
鯉が5匹の場合は紫と緑が追加されます。

 

 

こいのぼりは東京オリンピックの五輪をヒントに多色化したと考えられています。最初は黒と赤の2色だけで、真鯉がお父さん、緋鯉は子どもだったのですが、時代の流れに合わせてお父さん、お母さん、子どもたちという鯉の家族になっていきました。

 

 

こいのぼりの先端には神様への目印になる布切れをつけるものでしたが、町人には許されていなかったので、榊や杉、柏の葉を結びつけたり、丸い籠に入れて挿していました。これらの葉も悪霊を払う神聖な力があるとされていました。

 

 

この風習が後に吹流しや矢車に形を変えて伝わっているのです。




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